earthquake

e-mail

Home


東北関東大地震(東日本大震災)救援活動


 
 2011年3月11日、東北地方を中心に未曾有の大地震・津波が発生し、これに続いた福島第1原発事故と放射線物質放出により、東北関東地方の被災者への救援、復旧・復興活動に全力をあげる必要があります。

 組合は、東北全労協を通しての救援活動に集中しています。東北全労協のホームページ http://www.ne.jp/asahi/miyagi/zenroukyou/

 当面、救援カンパとボランティア登録が求められています。

1.緊急支援カンパの要請 以下のところにカンパを集中してください。

 近畿労働金庫梅田支店  3940156  大阪全労協

 郵便振替  00990−8−313657 大阪全労協

2.ボランティア登録

 東北全労協現地対策本部との受け入れ体制について調整を行い、順次派遣します。

 作業 a)炊きだし・片付け作業

     b)労働相談対応者−被災者の労働生活相談に対応し、行政等との交渉など

 条件 @ 派遣期間が5日間以上可能

     A 雑魚寝等が可能−寝袋、防寒着、長靴等を持参可能

     B 労働相談活動・行政(労基署/ハローワーク等)対応経験者

     C 食費/宿泊にともなう費用を自己負担可能

被災地ボランティア

組合員が次々とボランティア活動に参加しています。その報告を随時掲載します

−夏休み被災地ボランティア活動、リレー報告@−

 【今、悲しみの東北は 再び立ち上がる】

  この詩は岩手におけるボラ ンティア期間中、私達大阪チー ムが物心ともにお世話になっ た北上市在住の東梅洋子さん による鎮魂の詩集『うねり』 の中の一篇で、震災で今なお 行方不明になっている親友に 寄せた『三月十一日の午後』 という詩」である。この詩を 詠んだ当時の心境を語ってお られた時、東梅さんの口から 「結局自然には勝てないんだ よねえ。」という言葉が深い ため息と共に口をついて出た。 それはずっとずっと東北人が 背負ってきた悲しみや諦念に も似た思いを、今日の惨事に 重ね合わせて語ったのであろ うが、心の奥にゆっくりとし み渡っていくような言葉であっ た。

 「その友人の行方は結局ど うなったんですか?」と私が 問うと「さあ、何処に行った んだかねえ・・」と呟いてゆっ くりと目を閉じた。きっと彼 女は「何処かで道草でもして、 桜のつぼみが咲く頃戻ってく るんだよ。」と友を優しく気 づかっていたのだろう。その 友はもう決して戻ってくるこ とはないとわかってはいても。 彼女の優しさが身にしみると 同時に「何と悲しい詩なんだ ろう。」と思った。

 ※追伸その後東梅さんの親 友の方のご遺体は発見されて ご家族のもとに返されたそう です。桜のつぼみが咲く頃に は間に合わなかったけれど 「長い道草だったんだねえ。」 と友に語る東梅さんのつぶや きが聞こえてくるようです。

 峰岡和義(吹田支部)

 

夏休み被災地ボランティア活動

 8月3日から1週間、組合 員9名が岩手県にボランティ アに入りました。今回も、遠野市ボランティアセンター (NPO遠野まごころネット) が受け入れ先となり、宿泊・ 食事等は共生ユニオンいわて (全労協)の支援を受けなが ら活動してきました。

 到着した翌日、被害を受け た沿岸部、宮古市、大槌町、 釜石市の様子を見に行きまし た。瓦礫は大きな山となり、 それを片づける重機の音だけ が、人々の生活が奪い去られ た静かな街に響き続けていま した。津波にさらわれた街に は、夏草が生い茂り、まるで 以前からこんな風景だったか のような錯覚を抱かせる恐ろ しさがありました。

 2、3日目は、陸前田、 釜石市箱崎町、大槌町の仮設住宅に支援に入りました。

 4日目は大槌町にある曹洞 宗江岸寺に墓地の清掃作業に入りました。多くの墓石が災害により損壊していました。お盆を前に災害により亡くなっ た家族を気持ちよく迎えたい という人々がいる一方で、行方不明の家族を待ちながら、 これを期に気持ちにけじめを つけようとしている人たちも いました。またお盆は、仮設住宅入居によりバラバラになっ た地域の人々と再会できる大事な時でもありました。私たちは、その人たちの思いを噛 みしめながら、小さな瓦礫を 広い側溝を整え、地ならしを する作業を行いました。

 現地を訪れ、災害の大きさ を目の当たりにし、そこに暮 らす人々と言葉を交わすこと で初めて見えてくることがあ りました。復興までの期間は、 阪神淡路大震災の比ではない でしょう。息の長い支援が必 要とされています。組合は今 後も継続して、被災地への支 援に力を注いでいきたいと考 えています。 大椿裕子(執行委員)

 

 

第2期鶴ちゃんレポート−

6月7日火曜、  

 朝、上瀬(男)さんに昨日参加した瓦礫処理隊60人の話を聞きました。陸前高田は 大槌以上に荒野で、団地の4階の窓が割れて水が来てました。午前中には道路脇の瓦 礫を100m余り片付けたそうです。大型トラックのホイールやトビラ、畳などを3、4人 がかりで運んだそうです。午後からは田んぼの中の船のエンジン、魚網、ブロック壁 を片付けたそうです。  

 朝から岩手県土木事務所に行って高速道路無料証明をもらいました。  

 元教員チームは先週宿舎にきた歯医者さんからもらったハブラシセット1000個を25 の避難所に配る計画をたてて、避難を回りました。お寺に行ったらもう避難所ではあ りませんと言われ、吉里吉里小学校に行ったら、前に歯ブラシはもらいましたと言わ れ、吉里吉里中学校の仮設住宅に行ったら、みんな働きに行って誰もいません役場の 福祉課に行ったらと言われ、歯ブラシセットを福祉課に置いてきたと言って、大槌高 校避難所に戻ってホッとしてました。  

 昼前に花巻市湯本中学校の1年生達が社会活動で来ました。中庭で焼きソバや焼き お握り、あら汁を作って、どうぞどうぞと4、5人のグループで配ってました。それか ら舞台に上がって、翼を下さい、believeなどを合唱して最後に、雨にも負けずの歌 を先生のバイオリン演奏でハミングして終わったらたくさんの拍手がありました。私 がマッサージしてたお母さんは、今 私の 願い事がかなうならば 翼が ほしい〜と、 歌っていました。

写真は津波が来た時に若い消防団員達が扉を閉めようとして流された5mの防波堤です

6月6日月曜  

 今朝は新聞にのってた、民宿の上に遊覧船が乗った赤浜に行きました。もう遊覧船 はありませんでした。海岸道路の家の前に、前川夫妻を探しています、と立て札があ りました。道路の海側には見上げるような5mの堤防がありました。出入口の門を閉め ようとした消防団員が津波で亡くなったそうです。岸壁のそばの作業場ては女性2人 男性1人が魚具の片付けをしてて漁船が2隻出漁の準備をしてました(写真)。

  

 元女性教員2人は、きのう頼まれた獅子がしらを探しに川沿いに山の方へ行きまし た。獅子がしらは旧家に先祖伝来で、本当は龍で、お祭りやお正月の獅子舞い、火事 防止にも使います。山の上には雨ごいの石の獅子がしらがあります。元女性教員二人 は獅子がしらが見つからなかったので帰ってたら、津波の時に、6年生の女性教員が 先頭になって大槌高校まで走って全員が助かったという大槌北小学校の校庭で、おじ さんが新潟から送ってきた駐禁自転車50台を修理してました。避難所に帰ってお母さ ん達と一緒にイスに座ってたら、80歳代のお母さんが、盛岡から嫁に来て、夫が早く 死に女手一つで酒場を3軒作ったそうです。震災が起きた時に近所の人はみんな外に 出て何が起きたのかと一列に並んでたそうです。それからお母さんは孫を幼稚園に迎 えに行った時に津波が来て、孫が先に走って、後を追って高台に行き助かったそうで す。近所の人は流されたそうです。チューリップが一本残っていて、その球根を仮設 住宅で植えるんだ、と言ったそうです。  

 整骨院コーナーのそばに座っていた、テレビの、相棒、に出てくる鑑識課員をほっ そりさせたような男性が、大槌の赤浜の岸壁で夜釣りに行って50cmのカレイと40cmの アブラメやヒイカがよく釣れる、でも自転車で行く時に眠たくてふらふらと中央線に 出て軽トラやダンプに撥ね飛ばされたけど無事だったと言ってニコニコしてました。 7月に来る時には釣り竿を持ってくるぞと思いました。でもウニ取りに行ったお母さ んはウニに髪の毛がついてた、と言ってました。  

 治療8人。元男性教員1人はガレキ処理に東京の元石油会社員と行って、青い目のカ ナダ女性と英語で話したそうです。

6月4日土曜

 5時半にコンビニに新聞を買いに行ってたら女子中学生がヘルメットとジャージーで 自転車に乗って、すれ違う時、お早うと言ってくれました。遠くの森からはカッコウ という声が聞こえました。

 昼食を食べて外の風に当たりに出入口に座っていたら片足が不自由な車イスのお父さ んが来て、これから学校を一回りせねば、と言って頭に手拭いで鉢巻きをして、松葉 杖でよっこらしょっと出て行きました。山から風がさあっと吹いて来て体一杯空気を すいこんだら、うまかった。遠くの方から民謡が風に乗って聞こえてきた。大槌中学 校でマグロ解体ショーをやってるなと思った。送迎ボランティアをやってた上瀬さん がマグロの寿司を行けない人や僕に持って来てくれた。

 夕食の時、東京労組の人が福島の白河から国見を通った時、喉が痛くなったので隣に も聞いたら、痛かったそうです。毎日新聞にも東京の百倍あると載ってたそうです。 今日の治療は8人。明日日曜は遠野を歩く予定。

写真は津波で壊れた吉里吉里海岸の防波堤

6月3日金曜

 今朝は大槌高校避難所に行く前に、井上ひさしの吉里吉里王国があったらいいなあと 思って、元教員チーム4人で吉里吉里半島に行きました。吉里吉里駅の手前で海岸通 りに出ると、3隻の漁船が沖へ行ってました。岸壁では瓦礫を漁民の人達が片付けて いました。半島の山道に入るとすぐ老人ホームがありました。すると神奈川警察の車 が先に走っていました。警察にも吉里吉里王国ファンがいるのかなあと思いまし た。七曲がり八折れの登りが続いたら頂上になって展望台がありました。下り道も カーブが多く、最後にテニスコートがありました。王国や砂金やジェンコ(銭)は発 見できませんでした。赤浜地区の漁港は大きくて片付けに重機や自衛隊が活躍してま した。

 治療は今日は7人(昨日8人)でした。午後から元教員チームのエアロビに参加したお 母さんが、ちょっと早くてついていくのがやっとだったと言って汗をふいてました。 不信任案否決の今朝の新聞はどこやろ、と言ったら、ここにあると言って長机の下か ら、お父さんが渡してくれました。そして朝3時半に来た20部ぐらいが4時にはなくな ると言って笑ってました。明日土曜はマグロ解体ショーと横綱白鵬が来るからどっち に行こうかと言ってお父さん達は嬉しそうでした。帰りがけに片足の不自由なお父さ んから、せんせいマグロ明日頼みますよ、と言われました。

写真は沖に行く漁船3隻

6月2日木曜

 今日は6人で行きました。

 肖像画にはすぐお願いします、と次々と20人ぐらい来ました。大槌日本舞踊協会会長 のケーキ屋さんの主人は、これを家で見つけたと言って、ドロのついたケーキ作りの レシピを宝物のように肖像画受付に見せていました。ファイルシートに美味しそうな ショートケーキやロールケーキの写真や小麦250gバター50gなどと丁寧に箇条書きに されたノートが見えました。どこでケーキ作りを勉強したのですかと聞いたら、中学 校を出てケーキ屋にでっち奉公してから千葉のヒルトンホテルに行って、故郷で店を 開いたそうです。家族は、娘も孫二人が亡くなったというお母さんの夫だったので す。いつもニコニコしている人だったのでびっくりしました。いつも来てくれる樹木 希林風のお母さんは、肩こり治療をしてたら、みんなお店や財産を流されてもみんな くよくよしてないでしょう、と言いました。元教員3人組はヨガジャズ、学習室参加 者が無くてショックでした。

 帰りに天然温泉に行ったら若い自衛隊員がいたので、一緒に服を脱ぎながら、いつか ら来たの、と聞いたら、3月13日から4月15日が初めてで、5月25日から6月までです、 と言ったので、自衛隊も大変やなあ1ヶ月交代やなあ、テントは雨降ったら大変やろ と言ったら、いや少し防水テントから垂れてきますと言ってにこっと笑ってました。

 昨日も今朝も朝の朝礼には150人余りが集まっていました。

 きのう体育館(遠野ボランティアセンター)に民謡を聞いてもらいに戸田さんと行っ たら体育館が寝袋毛布で敷き詰められていました。外国人もいました。感動しまし た。

Subject: 6月1日水曜

 今日の大槌高校体育館避難所の遠野まごころネットのリラックスコーナーは、整骨院、中国整体、肩たたき隊、肖像画、ヨガジャズダンス、小中学生学習室指導、民謡アマ歌手などのボランティア12人でにぎやかでした。

 岡山から来た戸田さんは中国整体やりますよと言ったら、次々に8人も来て、目が すっきりした、鼻の通りが良くなった、肩が軽くなったと評判になりました。お昼に民謡を歌ってみたらと言ったら、すたすたと白衣のまま唄いました。岩手県の外山節 を〜わたしゃ外山の日陰のわらび〜と唄い始めるとぞろぞろと各部屋から人が集まってきました。炭坑節のリクエストで唄い始めるとお母さん達が踊り始めました。日向 木挽き唄を〜山で子が泣く山師の子じゃろ〜と唄ったら、仕事をやる気になったと男 の人が話しかけたそうです。

 肩たたき隊員は30から60代の女性達がストーブの近くでお喋りしながらやってました。3時過ぎて舞台でヨガとジャズダンスが若い人や年配 の人もやってました。肖像画も25人来て日経新聞から取材が来ました。6時からの学習室には、きのう4年生1人だったのに今日は、小学生3人中学生5人がきたと元教員団 は嬉しそうでした。結局僕は2人治療して、みんなのマネージャーでした。

 夕食は近 所のお母さんが持って来てくれたヤマウドのてんぷらとノビルの味噌付け食べが美味 しかったです。 付記、大阪から持って来た衣服、前掛け、靴下、化粧品はきのうあっという間にさばけました。

Subject: 5月31日火曜

 今朝、遠野まごころネットの朝礼に7時半に参加。百名以上がすでに集合。いつもの林崎さん、元自衛隊員現整骨院長、が長靴の安全靴を示して、先だけ鉄が入ってから足首はクギがささるから安全でない、3つのA、あわてない、あせらない、あきらめ ない、おまけに、ありがとうがいわれるなどと名調子で話してた。

 今日は大阪のケアマネージャーの松下さんと角さん(西成合同労組)とで行きまし た。松下さんは、肖像画と似顔絵を描きますと書いたスケッチブックを整骨院コー ナーに置いてたら、すぐ次々に、描いて下さいと25人ぐらいは来ました。

 前に娘さん と孫2人をなくしたお母さんが来ました。写真には40すぎの大原麗子似の女性が2人の 子どもと楽しそうに話していました。一人の子は大槌小学校の校庭で見つかりもう一 人はまだ見つかっていないと話ながらお母さんは涙を流していました。それを聞いてが痛くなって涙が出てきました。出来上がった絵を小さな額縁に入れて松下さんが 渡すと、何度も何度もありがとうと嬉しそうにお礼を言ってました。絵の力ってすご いなあ、なんだろうと思いました。松下さんも心で泣きながら描いたと言ってまし た。人が想いを込めてかいた絵は人をなぐさめてくれるようです。似顔絵を描いても らった大槌日本舞踊協会会長も自分の絵を見ながらありがとうございますと言って受 け取っていました。終わりごろには子ども連れの若いお母さんたちもきました。自分 が今生きていると実感出来るのかなあと思いました。

 私は7人治療しながら上瀬さん(南河内支部)に治療法を教えました。午後からきた松浦さん(元大阪支部)は子どもコーナーで本を読んであげていました。そして6時 から8時過ぎまで、きのう高校から使用許可をえた2階の生物教室で松浦、上瀬の元教員チームは学習指導の予定です。

Subject: ボランテ日記5月30日月曜

  朝、一ヶ月ぶりに大槌高校避難所に3人で行きました。いつもの ストーブ仲間の顔が見えず、体育館の角はテレビコーナーになって年配のお母さん達 とおじさんがテレビを見てました。顔見知りでなかったので整骨院コーナーからテ レビをみてました。すると前の女性の患者さんが、先生よろしくと言ってきて治療をやりました。それから次々にきました。ひる過ぎていつものストーブ仲間がきたのでしゃべりました。

 仮設は7月に入れますね、と話したら、いやいやわからんと言われました。すると、8月に町議会選挙があるけど町長になり手もない、町職員の59才が2月には挨拶回りし てたけど津波が起きたら出ないと言って引っ込んだそうです。情けないなあと言った ら、先生なって下さいと言われました。他に誰かいないんですかと言ったら、一人自民党の県会議員の若手がいるけどうんと言わない、と言いました。帰ろうかとした ら、片足がない元マグロ漁船員から声をかけられてマッサージをしてたら、3ヶ月も たつのに町会議員も見舞い挨拶にもこない、釜石市との合併問題の時には、25人もいて自分達の定員が減らされるからと反対して、25万ももらって小遣い銭ににしてる、 と怒っていました。

 帰り道大槌の人がかわいそうになりました。ひょっとして立候補 がなくて再選挙になって誰かから頼みがあったら出てやろうかなと思いました。

−「物資より人を・・・・」 復旧の決め手は人! ― 宮城県東松島市東名ボランティアレポ

  宮城県東松島市の新東名(とうな)にある宅老所「すみちゃんの家」は要介護老人に介護サービスを提供する事業を行っている。「宅老所」とは、介護ビジネスと別次元でボランティア精神を元に地域で老人介護事業を展開しているNPO法人である。

 「すみちゃんの家」は津波の直撃を受けた後、一旦閉所を決めて職員30人を解雇した。被災1ヵ月後に全労協の支援隊と偶然めぐり合い、事業再開を決意して現在復旧に励んでいる。

 他の養護老人施設が壊滅した東名地区で宅老所「すみちゃんの家」は介護を必要とする親を抱える家族から1日も早い再開を望まれている。地方において30人規模の雇用の場は「大手企業」でもある。全労協は、地域住民の要望に応えるとともに被災地における雇用を回復させるため、被災1ヵ月後の4月なかばから宅老所「すみちゃんの家」の全面支援に乗り出した。

 私たち8名は5月13日、1週間の予定で大阪全労協が派遣する第3次緊急支援隊として東松島市新東名へ向かった。

  「家の中で人が溺死する・・・・・」

 新東名は路面から2.5bまで水没した。東名は標高2bに位置するので平均海面から4.5b水位が上がったことになる。

 宅老所のすぐ先にある平屋建ての家に夫婦2人が住んでいた。そこへ津波が襲い、たちまち背が届かなくなるまで水位が上がった。たまたま外から流れ込んできた靴箱に?まって夫婦は助かった。その裏手にある二階建て。津波警報が出て子どもを二階に避難させ、舅と姑を両脇に抱えて二階へ上がろうとした主婦は津波に襲われた。流れてきた畳に?まろうとした時、腕が離れて舅と姑が家の中で溺死した。宅老所から1.2qの所にある野蒜小学校体育館。避難所に指定されているため大勢の周辺住民が避難してきた。この体育館で200人が亡くなっている。流れ込んできた水で人が渦を巻いていたという。水が引いた後、助かった人は遺体をまたいで避難した。こんな話を山ほど聞いた。凄惨な体験がもとで「家に帰るのが怖い」と、2ヶ月たっても多くの住民が戻ってきていない。

 「住み続けるからには『自己責任』」

  「すみちゃんの家」の北方向にあるYさん宅。解体されることになったが「あのまま解体されるのはかわいそう。せめて位牌を捜して他所に避難しているYさんに届けてあげたい」というすみちゃんの依頼を受けて、4人でYさん宅に向かった。玄関を入ったところで私たちは言葉を失った。薄暗い部屋の中で畳・障子・布団がうず高く重なり泥まみれになっている。箪笥・水屋はみな倒れ、仏壇も扉が開いたま柱の間に挟まってびくともしない。何とか位牌を2つ捜し出してYさん宅を後にした。その夜、Yさん宅の状況を話すと、すみちゃんは「最初はあれが普通だったんだよ」。

 被災者が再建を断念し、建物の所有権を放棄すれば解体撤去は行政がやってくれる。しかし、その建物に住み続ける限り、泥出し・瓦礫の撤去は自己責任に帰される。泥・瓦礫を道路まで出さない限り行政はもって行ってくれない。東松島市の統計では一世帯あたりの人数は平均2.8人。震災当初、ほとんどの被災者は途方に暮れていた。ボランティアの手助けなしに家族だけで再建することは不可能なのだ。

 「物資は充足、人手が足りない」

 少なくとも野蒜・東名地区で物資の不足はない。誰が何を欲しているか行政が把握できないため物資が行き渡っていないのが現状だ。物資は余るほど現地に届いている。賞味期限が切れた食料品は廃棄されていると聞く。しかし、個人の住宅を復旧させるにはあまりにも人手が足りない。一度ボランティアが入れば次はいつになるかわからない。被災者にとって再建の目処がたたない。

 5月20日、わたしたちが帰阪する前日。JR仙石線のレール撤去が始まった。ところが、大破したトラックが撤去されたことを除いて、「すみちゃんの家」から見える風景はこの1週間なにひとつ変わっていない。 「すみちゃんの家」の職員U子さんの言葉。「津波のあと、家の中の惨状を見てすっかり勇気が奪い取られていく思いがした。しばらくしてボランティアが入り、泥・瓦礫が見る見る間に撤去されていくのを見て勇気がわいてきた」。U子さんの言葉に私たちは逆に励まされて東名を後にした。

 渡辺静雄(豊中支部)

 

  5月16日現在の東名駅

  

 県道バイパス下の民家

−家屋の泥出し、田んぼのガレキ撤去−

 5月15日に遠野市に行き、実質3日間のボランティア活動をしてきました。

 毎朝7時半に遠野まごころネット本部前に300人ほど(ほとんどは横の体育館に宿泊、食糧は自分で調達)のボランティアが集まり、派遣先ごとに班分けしてバスで送り出されます。その規模の大きさに圧倒されました。様々な団体・個人が、遠くは倉敷市・徳島市・山口県などから参加していました。  私が派遣された被災地は大槌町と陸前高田市。仕事は、破壊を免れた家屋の床下にたまっている悪臭のヘドロをはがして土嚢に入れ、外に運び出し、最後に石灰を撒く仕事。もう一つは田んぼにたまったガレキの撤去でした。

 しかしガレキはどこまでも続いていて、人間のやる気をこわしていくようでした。ガレキを全部撤去しても、田んぼにしみこんだ海水の塩分や小さなガラス破片などを取り除かないと、農地としては使えない。おじいさんの高台の家は、屋根より高いところまで津波がきて流されました。やっとのことで裏山に逃げて助かったおじいさんは、1年すれば塩分も流れまた使えるようになると言っていましたが、私としては本当にそうなることを祈るばかりでした。 

 私たちに宿泊所と布団を用意し、手作りの山菜料理を食べさせてくれたのは、ボランティアを支えようという「共生ユニオンいわて」の人たちの考えによるものです。本当にありがたかったです。帰りの高速料金は、ボランティア証明書(社協発行)を持って国土交通省出先機関に申請したら無料になりました。

  齋藤郁夫(吹田支部)

−5月連休のボランティア活動−

 遠野まごころネットと結びついた救援活動  

 5月連休4泊5日で、大阪全労協メンバー5名(教育合同2名)が岩手県に被災地ボランティア活動に入った。大阪からは車で15時間、「コブシ咲く北国の春」の遠野市。遠野市ボランティアセンター(NPO遠野まごころネット)がボランティアの受入と活動を調整し、宿泊等の面倒も見るため、連休中も県外から600名を超える参加者があった。  

 遠野に全労協の拠点  

 遠野市は海岸まで1時間。この地の利を生かして、ボランティアを連日、陸前高田、大槌、釜石にバスで送迎する。共生ユニオンいわて(全労協全国一般)はセンターに隣接する公民館を借り上げ、組合員ボランティアの宿泊・食事の世話をする。そこで京都、東京のメンバーに合流した。  

 ボランティア活動の多様さ  

 遠野まごころネットは、被災地のニーズを毎日調査して、必要人数を派遣する。毎日の朝礼で、作業内容と人数が発表される。また、ボランティア活動の心得も訓示される。「被災地現地のニーズは毎日変化する。ボランティアが美化されてはいけない。ボランティアにはノルマはない、やめたくなったら引き上げること。また、3つのA−あわてない、あせらない、あきらめない−でやること」という具合だ。

  

 私たちは、サンマ処理、家屋泥出し、避難所でのハンドエステを行った。これ以外にも、学校等の片付け清掃、物置等の解体などがあるが、大工(日曜も)経験者が優先され、また団体登録ボランティアが先に割り当てられる。それ以外が一般募集となり、人気(?)作業は先着順となる。それでも「被災地を支援する気持ちでもって、少々の不満は収めてほしい」とのまごころネット代表の言葉に参加者は了解するのである。過酷を極める作業は、サンマ処理である。  

 陸前高田の水産加工場が津波に襲われ、冷凍サンマ数万トンが山裾まで持って行かれた。この腐臭を放つサンマ処理は、どうしても希望者が少ない。そんな中、全労協メンバーは率先してサンマ処理に出かけた。「山でサンマを捕るのは初めて」と軽口をたたけるうちはましな方で、向こうの方では嘔吐しているボランティアもいる。服と長靴はサンマの臭いがしみ込んで落ちない。3日目の朝礼で、「皆さんのおかげでサンマ処理のめどが立ちました。これからサンマ処理はありません」と発表されると、一斉に拍手が起きた。  

 家屋泥出しは、津波に流されなかった地区で泥まみれになった家屋の掃除である。われわれが訪れた家では、52歳の男性が亡くなっていた。「葬儀に追われていて掃除などできなかった」と老いた母親が寂しそうに話した。作業中も、親戚の方だろうか花を持って訪問してきていた。その泥出しは10人がかりで2日かけて終わった。  

 5月6日、ボランティアセンターには藤原紀香、大黒摩季、武蔵が激励に訪れた。

 

 避難所生活の限界  

 避難所の生活は限界に達している。しかし仮設住宅はまだまだ建たない。仮設に適した土地が少ないせいもある。また、都市部とは異なる地域性もあるようだ。この地域性は、ハンドエステをしながらあれこれ話してくれた事柄から感じることができた。ハンドエステには3日間で60人を超える女性たちが来た。

 この避難所で世話係をしていたのは、津波で倒壊した会社を解雇された若者だった。臨時町職員に雇われ働いているのだが、雇用や保険関係の詳細は知らされていなかった。町長はじめ職員の4分の1が亡くなった大槌町だから無理もないかもしれないが、労働関係の資料を渡し、共生ユニオンを紹介しておいた。その若者が疲れのせいか、点滴をしていた。何しろ、避難所の世話は大変だ。例えば、洗濯機が3台寄贈されたが、「事情があって」使用できないという。そのため、洗濯している手は荒れている。テレビも5月連休まで届かなかった。やっと届いたテレビは19インチ、地デジ対応だが電波が来ていないので、アナログで見ることになる。他方、マスコミや大学研究者が次々と調査にやってくる。これに天皇や首相が来られてはたまったものではない。

 息の長い支援を  

 大槌町の隣の山田町にも手が付いていない地区があった。  

 被災地支援ボランティア活動は、変化するニーズにあわせて、息長く行うことが肝要だ。全労協は岩手、宮城、福島とそれぞれのニーズにあった支援を続けることになる。遠野には、教育合同から5月中にさらに2グループが入ることになる。宮城県に入る組合員もいる。  

 震災・津波・原発被災支援活動には、優しさと力強さを持った労働運動がもとめられている。  

 山下恒生(副執行委員長)

 

 ユーミンの大槌エステ日記  

 GW、車で走るも遠野はホンマに遠い。  

 1日目のボランティアセンターは、何ができる、何かしたいという老若男女のパワーでムンムンして心強かった。ガレキ処理!の声に、ハイ!と手を上げて仕事をもらっている。エステ業の私は、顔もという要望は衛生面で無理なため、ハンドエステで避難所へ。マイクで呼びかけると、カーテンの向こうからチャレンジャーのおばちゃんが出てきた向かい合ってくれた。その様子を見て、私もと並んでくれた。  

 サンマ工場で曲がった指、荒れた手、飲み屋さんの白い手、一人一人の女の手は、だまって人生を語っていた。  

 2日目も来てくれた、散髪屋をやっていたという70代の女性が前に座る。過去の話をボソボソ始めた。素足で百姓仕事をさせる農家には嫁に行きたくなくて散髪屋になりたいと夢を描いた。中学に全うに行けなかったため、卒業証書がない。だから散髪屋にはなれない。お客さんに、見たこともないテキストの漢字を教わりながら努力する彼女のために、中学校の校長が試験官を説得に出向く、「この人の学力は間違いない、一生がかかっている」と。無事、試験に合格した彼女は散髪屋になった。被災してもシャンと小綺麗に身繕いした彼女は、そんな風に力強く生きてきた。自信のある大きな手を広げてくれた。しかし、全ては海に流された。もうダメだな、とそんな彼女に言わせる大災害。手から手を伝わる悲しみとあきらめ。言葉は出なかった。  

 男の人は、オレの仕事は・・・と後が続かない。生きていくことは仕事と重なり合うはずなのに、今は一日中働き盛りの体をストーブの前であたためているだけ。悔しいだろう、あせるだろうに。  

 たっぷりのクリームをすり込み、ツボを押し広げ、そっと揉みほぐす。「気持ちエエもんだな」「肩もんでもらってるみてぇだ」と優しい言葉をかけてくれる。

 「今8人の家族が死んだ話を聞いた、今日はよく涙が出る」とポロポロ涙をぬぐう手、「いっそ全て波に持って行ってほしかった」と泥に染まった手。「大阪ってどんなとこ?中三の子がいるから働かねば」と洗濯に明け暮れる若い母親の手、どの握りこぶしの中も、悲嘆、憤り、苦しみ、絶望。しかし、開いてくれた手は、温かく生きている。うすピンクのネイルを塗ると、桜色の爪に春が来たと一瞬の笑いが起きた。おじいさんも「オラもやって!きれいだ」と天井の光をうつし、「おどるか」と手をくねらせた。化粧水を顔に塗らせてとやってきた男性もいた。  

 エステには参加しなくても、バナナやおにぎりを分けてくれたり、流された工場で作っていた海苔を食べてと持ってきてくれた。最後に「ポン菓子をつくってきたから」と持ってきてくれ、握手を交わした。  

 被災された方々が、柔らかな布団で腰を伸ばし、台所で山海の恵みを料理できる日が一日も早く来ることを願って3日間のハンドエステを終了し、後ろ髪引かれる思いで当地を後にした。  

 追記。50代後半にさしかかる私は、大きな優しさを頂くとともに、生きるとは!!を目の当たりに教わり、また一つ強くなった自分を感じた。ボランティアは私自身のためのものであったんではないかと振り返る。当地の方々に感謝の思いが日々深くなっている。

 

−鶴ちゃんレポート−

鶴丸組合員が4月11日に大阪を出発し(教育合同ニュース479号参照)、13日から岩手県大槌町に整骨院ボランティアとして入っています。現地レポートが届いていますので、随時掲載します

Subject: 4月26日火曜

 今朝、いつものように遠野まごころネット副代表の荒川さんに挨拶して、きのうは 16人やって疲れました、と言うと、ありがとうございます、無理しないでと言って、両手で抱えるようにして背中をさすってくれました。先週2回もNHkテレビで、遠野ま ごころネットが放送されたせいか、百人くらいが玄関前に集まっていました。今日の リーダーはボランティアに、思いやりをしてると思い上がるな、いやな人もいる、と 言ってました。かわいそうだと思われたくない、ということかなあと思った。地区に 別れて家の中の片付けなどに出発して行きました。

 大槌高校に行くと、朝から次々にきました。時間表を作り20分、5分休みで朝から5 人、昼からは、7人やりました。避難所担当の大槌町職員に、今後も、遠野まごころ ネットから整体マッサージ者を送るという、荒川さんの話を伝え、体育館内前隅に、 まごころネットの黄緑のゼッケンに、5月美顔エステ、6月整骨院ボランティア、マッ サージ器は自由に使って、と書きました。あと2日、これで一安心です。

 昼過ぎに車で遠野市のauシヨップに行きたいけど車がないとおばあちゃんに怒って いる若者がいたので車を貸したらスーパードライをもらいました。ストーブ仲間にあ げたら、ありがとうと言ってすぐぐっと飲んだので心配になりました。そして遺体を 見つけたら3千円だと話してました。それを聞いて、海ゆかば水く屍の歌を思い出し ました。

写真は朝8時集合のボランティア。

Subject: 4月25日月曜

 今朝5人で車に乗りました。京都の元中学校長、東京の琵琶の葉温熱 きゅう師とフィリピンから来た日本人の父親と息子さんです。大槌の親戚の見舞いと 避難所ボランティアです。フィリピンでミネナルウォーターを水道からろ過して販売 してたが、従業員に車を取って行かれたりしてどうするか考えてるそうです。

 大槌高校に着いたとたん、朝から次々に患者さんが来て、6人しました。

 70代女性は 体全体が疲れている、血圧は低いと言い、地震が起きてからだという。首を治療し始 めたら、話をし始め、地震の時は近所の店の人と税務署に行った帰りだったそうで す。車が大きく揺れたのでパンクしたと思ってたら、海岸通りのスーパーから大勢の 人が駆け出していた、家に帰って見たら棚からは何も落ちてなかったのでほっとし た、(丈夫な家を作るという遠野の大工さんに作ってもらった)、2階の息子に、地震だ逃げれよ、と言ったが、大丈夫だ、と言って逃げなかった。仕方ないので自分だ け外に出て高台のお寺の境内に走った、後ろを見たら自分の理髪店も近所の店も流さ れていた、と話してくれた。夫は2年前にガンで亡くなり、一人になった、もう一度 元の所でやろうかとも思ったりするが、どうしたらいいか分からないと話された。僕 は、元の所なら住むのは別にしたがいい、まず町役場に電話して、元の所に作れるか 電話した方がいい、みんな仮設に住むのだから仮設の中で作れないか、相談した方が いいですね、と言った。

昼からも次々に来て合計16人しました。

写真は治療中の私。

Subject: ボランテ日記4月24日日曜  

 朝みんなを見送って、博物館に行き、遠野市が岩手の内陸と海岸を結ぶ所で、馬夫達が各地の出来事や話をしてたので、座敷わらしやカッパや馬嫁などの話が残っていて、柳田國雄が遠野の佐々木鏡石から聞いて、遠野物語を書いた、と説明書きにあった。そして長崎県千々岩町の関という人が協力したとあり、びっくりした。それから鍋倉城跡に上ると、なだらかな山々に囲まれた遠野市が一望できた。

Subject: ボランテ日記4月23日土曜  

 今日は午後から共生ユニオン岩手の会議があるので、午前中4人で終わった。  

 1番目の50代の女性は、首肩こり、全身疲労と言ったので血圧を計ったら165と98だった。境界型高血圧だった。肩こりはいつから、と聞いたら、10年来だと言った。全身疲労はいつから、と聞くと、津波が起きてからと言った、海岸にいた時、津波だと半鐘がなったので高台に走った、後ろを見たら防波堤を大きく超える津波がみえた、車の中から、助けてえという声が聞こえて、今でも聞こえてきて眠れない、涙もまだ出せない、ガンバロウ岩手と言われても、気力も湧いてこない、と言われた。そうだね、津波や声が聞こえてくるのを何度も何度も思い出して、だんだん思い出さなくなったら涙も出てくるかもしれないねと言った。治療終わりました、と言うと、ああ軽くなった、ありがとうと言ってかえりました。

 

 写真は、着々と進む仮設住宅建設現場  

Subject: ボランテ日記4月22日金曜  

 京都の先生は子ども好きで、剣玉を教え、うまいっと言う声と、やれたっと言う子どもの声が体育館を明るくしてます。  

 午後からきた70代の肩凝り右股関節痛のお母さんは、地震の時に海岸の商店で買物してて、すぐ高台の家に駆けて、途中畑のおじいさんを助けに行ったがいなかった、高校生の孫息子が助けていた、近所の家族と高台の家で自宅にあった玄米を食べて2日いて、避難所に行ってから家にもどったら、高校の孫娘の楽譜がバッグから取り出され引き裂かれたり小物箱が散らかされ泥棒に入られていた。昭和8年(1933年)の三陸津波が起きたので20mの高台に建てた家も流されていた、家族は無事だったそうです。  

 世話役から仮設住宅受付の発表があった。世話役に聞くと、予定では6月中に全戸完成だが、7月中には完成するそうです。2年間家賃のみ無料、エアコン付き、電気水道有料です。隣の釜石市では入居が始まっています。資料では、受付は4月25日から5月6日まで、必要戸数1990戸、建設中216戸、とあり6月には避難所から出始めるのかと思いました。  

 終わり頃に、10年来のむち打ちで首痛の30代を治したら何度も何度も頭をさげられた。 

 最後の漁師30代々男性の右坐骨神経痛を治して治療を教えたら納得納得と頭を下げられ、帰る時にお世話様でしたと挨拶したら体育館の前でストーブにあたっていた20人ぐらいが一斉にありがとうと言われて、とても嬉しかった。

 写真は、今も手付かずの釜石市商店街。

Subject: ボランテ日記4月21日木曜  

 今日初めてきた70代女性は治療が終わってから、40代の娘と孫娘がみつからず、今年入学の可愛かった孫息子が小学校の運動場に流されていたのが見つかった。娘の夫は漁に出てて助かった、生きる気力が出て来ない、と話してくれた。  

 60才代女性が、肩凝りがひどいんでと言ってきた。首、肩をやりながら、いつからなり始めまたのですか、と聞いたら、ずっと前からと言った。肩凝りは真面目な人がなりやすい、と言ったら、よくわかるね、と言われ、お医者さんにもかかったが治らなかった。実は夫が酒を飲んだら殴ったりされていてびくびくして肩凝りになった気がする、津波で夫が死んでほっとしたが、町で夫の乗っていたような車を見たら体がすくんでしまう、と話してた。いやな記憶はだんだんなくなって体も良くなりますよ、と言った。

 今日は10名。

 写真は大槌高校門下の桜、明日入学式

Subject: ボランテ日記4月20日水曜   

 今日から体育館でした。高校事務室で再開を挨拶。体育館入口のストーブで温まってたおじさん達に挨拶。場所はどこでしたらいいですかかと聞いてたら、隣のストーブにいた6人ぐらいのおばさん達から、前の方がいいよ、と言われて、左隅でベッドを用意した。  

 ストーブのおじさんが、誰か来たら次々くるよ、と言ってたらすぐにおじさんが来て、またおじさんが来て、それからおばさんが2人来て、お昼になった。  

 午後から男性8人女性1人。車イス片足の高齢男性は肩凝り右足凝り、初めは車イスでやったが難しく、ベッドでやろうとしたら通りがかりの愛知の女性看護師も手伝おうとしてくれたが、本人が片足で立ってさっとベッドに寝たのでびっくり。岩みたいな肩をどうにか緩めたら、軽い軽いと腕をぐるぐる回して帰った。次に腰椎ヘルニアで左足坐骨神経痛の男性。腰を曲げても伸ばしても痛みは変わらないというので困った。マッケンジー法をやったら、やったことがあり痛みが軽くなってたが途中で止めてた、と言うので毎日寝る前に5回やるように言った。  

 5時半に、ご飯だよと声がしてみんながゆっくり並んでた。今日も安置所に行ったが見つからなかったと聞こえた、何人もの患者さんから、ご飯食べてけ、と言われ、遠野につくってっからと言ってたら、おばあちゃんが、これ食べれとさっと置いた行った。困ったがいただく。大きなお椀の団子汁で美味しかった。はしがないのでジュースパックでスピーンをハサミで作った。ティッシュで吹いてベッドに置いてたら、知らないおじさんが、食べたかと言って持って行ってくれた。午前中にボール紙の柱とカーテンで家族部屋が作られてた。ただいまあと声がして若い女性が仕事から帰って来てた。

Subject: ボランテ日記4月19日火曜  

 今朝大槌高校に行ったら、 医師会とAMDA救援医療団のグループから、遠野市まごころネットでやってることに苦情を言われたので、大槌仮設町役場福祉課へ行き、すべて保健所に任せてると言われ、大槌ボランティアセンターでは仲良くやってほしいと言われ、釜石保健所で保健福祉環境部長が仲介連絡をしてくれることになったが、後から苦情を言ってきた明治鍼灸大学の教授から電話があり、お互いルートは別だが避難者のためにがんばりましょう、ということになった。お陰で治療できませんでした。  

 明日から再開。帰りの笛吹峠で吹雪で車がスリップしたので釜石市内外を通ったら電柱が倒れ信号もダメでした。  

 以下は先週朝日に投稿したかダメだった原稿。

 大阪から車で柔道整復ボランティアに岩手県遠野市の社会福祉センターに来て、毎日大槌高校の避難所に行ってます。余震は毎日1回は感じます。3日目の朝体育館で釧路市からのホランテイア派遣団体の事前調査の人が来て色々聞かれて答えました。宿泊は、体育館で無料。食事は、持参。後何人泊まれる、百人。と簡単に答えたが、避難所の要望は何かは簡単でなかった。大槌高校も行く前は千人と聞いてたか、今は400人、授業開始の来週は200人になると受付で聞きました。僕自身の患者も整骨院と変らず首肩痛、腰痛などで、高齢者以外は家の片付けや仕事や仕事探した行ってます。隣のボランティアで来てる家屋調査士や土木関係の人は、阪神震災の時よりも家屋の片付けや整理が遅れてる、震災から一ヶ月経ってるのに進んでない、人手が足りてない、現地にも来ないでインターネットで片付けなどは終わったとかデマが流されてると怒っていました。僕の今日来た40才代の患者も1階が潰れて2階で住めるように妻と二人で片付けていると言ってました。行政は遠野市のように少なくともボランテアの宿泊場所を保障すべきです。被災地周辺のホテルどはマスコミや役所関係者が押さえ、ボランティアは何でも自前で、野宿してくれという姿勢は間違ってます。

Subject: ボランテ日記 4月18日月曜  

 今日は、琵琶の葉温圧療法さんと大槌高校に行きました。今日は避難所の移動日なので、第2体育館から第1体育館へ移動したり、中央公民館に移動で運動場はごった返して、午前中は誰も来ず。  

 午後から高三男子柔道部が来て、家の苗床の土運びで腰が痛くなったと言うので、温圧療法をしてから、腰仙関節と仙腸関節などを治療した。震災の時は柔道部で学校にいて、家は山奥の小槌でぶじだった、今年は3年だが先輩が整骨の学校に行ってるのでどうするか考えてるとのことだった。次に40代の夫婦が来て、水産市場で働らく妻は鼻炎が治るか、と言ったので、念のためノートを見てしたら、通りが良くなったとびっくりして、交通事故の首も凝ると言うので治療した。夫は、震災当日は港の方で工事をしてたが揺れが尋常でなく、車で高台に逃げたが、一度家に戻ったが、誰もいないので高校に逃げてたら、家の1階だけが流されて行くのが見えたそうです。同僚は車に乗ったまま山側に流され後部座席に、バイパス道路が見えたのでドアを開けて泳いで助かった。会社も社長も流されたので息子が会社をつぎ、避難所から仕事に行ってるとのことでした。  

 朝のNHkラジオで岩手県は7月のうちに必要な仮設住宅1万数千戸数を建設、毎週千戸ずつ建設中と言ってた、と言うと、大槌はまだだねぇ、と言われた。

Subject: ボランテ日記 4月15日金曜  

 朝来た67才女性は肩こり頭痛で昨日も来てた。家が流され夫は行方不明で、毎日遺体安置所を尋ね歩いて、先日顔や服装が似てる人を見つけたが、金歯の形が違ってる感じなので、流された歯医者の技工士さんを探してる、と話してくれた。お父さんだったらいいね、と言うと、今頃来て遅いとおこるかもしれん、と言ったので、そんなことあらへん、お父さんの好きな酒でも持って行けばいいやねん、と言うと、そうやねビール好きやったからビール持っていくわ、でも酒屋も流れてしもたし、と言ったので、ほんなら遠野から持って来てやるわ、と言うと、そこまでしてもらわんでも、と言ってニコッと笑ってくれました。お母さんは関西なまりやね、と聞くと、ニコニコして、そうやねん中高と大阪育ちやねんと、やっぱりうどんは細目で昆布と鰹だしやね、と関西談義が続いて、最後に一段落したら四国四十八ヶ所巡りをしたい、と言うのを聞いて治療を終えました。  

 6人目の46才男性は家の1階が潰れて2階を生活出来るように慣れない力仕事で足腰がくたくたと言うので、ゆっくりマッサージと指圧をしていたら、すやすやと寝てしまいました。終わりましたと言うと、ぱっと目をさまして、なんどもありがとうございますと礼をされました。

Subject: ボランテ日記4月14日木曜   

 朝5時ごろ体育館の天井のバスケットゴールがカシャカシャと揺れた。震度5ぐらいだった。  

 助手Aさんが阪大に帰るので代わりの人を本部に頼んだら、真宗大谷派の60才代の女性僧侶がきた。先月から悩み相談などをしていたと言うので、受付兼悩み相談もすることになった。  

 12時までに中高年女性が肩こり腰痛で3人、悩み相談で解雇された男性が会社はひどいと繰り返し言ってので、帰りに共生ユニオンを紹介した。午後からヘルニアで2ヶ月入院したが腰が苦しいという、マッケンジー法をやったら腰を反っても痛くなくなった。体育館でやってたスポーツトレーナーさんが来たので技術を聞いた。  昼は高齢者以外は片付けや仕事に行って4時から戻ってくると言うので、時間を午後7時まで延長した。  

 中学生の女の子がお喋りしに来て、今度入学する吉里吉里中学に色んな制服が送られてきてるので、みんなが色んな制服を着るのかなあ、と言ってた。井上やすしの吉里吉里共和国の話を聞いてる感じがした。   

 その後、骨盤、首肩こりの女性や、料理屋が流された肩肘膝の中高年女性と左肩痛の夫が来た。最後は首と鎖骨下筋、肩痛の女性だった。計10人。  

 教室に家族が住んでいて子どもが廊下で遊んでいたが21日入学式で高校再開されるので400人の半数が移動とのことでした。

Subject: ボランテ日記4月13日水曜

 朝から、遠野市社会福祉協議会に行き、共生ユニオンの案内で、ボランティアと宿泊登録をして隣接の体育館に荷物を置き、12時に阪大生と、大槌高校避難所へ出発。笛吹峠の七曲がり八折れを下ったたら、なんやこの光景はと思った。絨毯爆撃されたように屋根や鉄骨の残骸が積み重なり、船や車がひっくり返っていた。高校に行く道の両側に壊れた家の残骸があり、1時半に到着。  

 受付をしたら3階美術室に案内され、ベットやハンドマッサージ器をおくと、校内放送がされて三人、四人と患者さんがきた。高校の腰痛の先生、脊柱管狭窄症の高齢者、坐骨神経痛、肩こり頭痛など。1人20分ぐらいでやっていく。家の片付けで足腰が痛い人もいた。右でだめなら左を押す、それでだめなら真ん中を押す、冗談を言ったら笑ってくれて、ほっとする。  

 最後に大槌北小学校の30代の先生だった。3月11日の6年生の授業中、校舎が大きく揺れて今までのと違うと感じて子どもと一緒に運動場に出て、他の学年が整列人数確認をしてたが、校長に間に合わないから、高台の大槌高校に行きますと言って走り始めたら、他の学年も続いたので全員が助かった。教員の車はみんな流されたそうです。2年前に安全担当になり、消防士のアドバイスを聞いて、それまでは運動場に整列して終わってたのを、高台の高校まで300m走るようにしてて良かったとも話してくれました。  

 教科書も何もない、と聞いた時に、教育合同労組から持って来た理科教材を思い出し、プレゼントしますと言うと校長を連れて来たので、運動場で渡しました。今年から1年担任なので、粘土セットの箱を見たら、嬉しいと言ってくれました。あと乾電池セットも校長がありがとうございます、と言って受け取ってくれました。

Subject: ボランテ日記4月12日月曜  

 きのうは、朝10時に教育合同事務所で学用品4箱を受け取り出発した。11時に弟の家に着き、風呂に入り、ぐっすり寝て、朝6時に出発。  常磐道は途中で、ガードレールが鉄板だったり、道路が波打って車揺れたりした。自 衛隊の装甲車が災害派遣と貼っていた。途中迄は車は一杯だったのに東北道の方へほとんど行って、ナビ大丈夫かあなと思ってたら勿来で通行止めで一般へ行くて、段差注意箇所が多くなり渋滞し、1時間ほど我慢すると常越道に入り、道奥の山の桜や桃の果樹園をみながら阿武隈高原Pで一休みしてたら、自衛隊の空挺団の車輌が数台止まり、迷彩服の若い隊員がカンコーヒーを買っていた。雑誌売場に隊長らしき人がさっと来て福島の地図を持ってレジへ行った。  

 早い昼食にかき揚げソバ五目飯を食べたら汁が黒かった。テレビで原子力保安院の能面風の広瀬さんが、チェルノブィリの放射性物質の1割だが最悪のレベル7に上げる、(人の健康に影響する)と説明してた。大変だが冷静に対応しなければと思った。午後2時10分蔵王Pで休憩中に車が大きく揺れた、風が強いにしては揺れるなあと思ってNHKを聞くと、福島は震度6だった。3月11日から1ヶ月も経ってるのに、千年に一回の大地震は余震もよく続くなあと感心。仙台を過ぎると50k制限、段差注意が続く、時々緩やかな波乗りのようにくるがゆれる、よく見ると道路が波打ってたり、布が裂かれそう様になってたり、細い裂け目の箇所も二、三箇所あった。阪神大地震の時は高速道路折れたりしてたことを思 い出した。岩手県奥州市付近で道路補修してた。

 5時過ぎに北上市の共生ユニオンいわて組合事務所に到着。10時間運転したが、春のモヘア毛糸のような東北のなだらかな山々を見ながらきたので、疲れを感じなかった。共生ユニオンの事務所は岩手県詩人会の看板もあり、書記長は宮沢賢治風だった。

 明日からは遠野市社会福祉協議会事務所で泊まり、来週からは自治会館にとまり、阪大の学生や東京からの人達と避難所回りをするとのこと。

 

 

info@ewaosaka.org
Copyright © 2001-2004 EWA - 労働相談・何でも相談をやっています。ご意見・ご感想も下記まで。
大阪市中央区北浜東1ー17日本ワードデータビル8階 * Tel: 06−4793ー0633 Fax: 06−4793ー0644