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少子化の波はもろに私学をおそっている。サバイバルにかける私学は、教職員の解雇、賃金引き下げ、権利の剥奪をすすめ、民主主義とはほど遠い職場実態を作り出している。 |
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| 年 度 | 顧 問 | 会計 | 請求金額 |
| 1997年 | I・★・寺田 | I | PTA帳面無し |
| 1998年 | I・★・寺田 | I | PTA帳面無し |
| 1999年 | I・★・寺田 | I | PTA帳面無し |
| 2000年 | ★・寺田 | ★ | PTA帳面無し |
| 2001年 | ★・寺田 | ★ | PTA帳面無し |
| 2002年 | ★・寺田 | ★ | PTA帳面無し |
| 2003年 | ★・寺田 | ★ | 30,000 |
| 2004年 | ★・寺田 | ★ | 40,000 |
| 2005年 | ★・寺田 | ★ | 47,000 |
| 2006年 | M・寺田 | M | 80,000 |
| 2007年 | M・寺田 | M | 80,000 |
《1997〜1999》
◆97年に、顧問★の紹介で★の友人が女将をする旅館に合宿所を変更。 ◆それまでの宿舎とほぼ同額でいけるとの事であったが、生徒からの徴収金では、不足した。 ◆顧問Iが、「PTA施設費」の趣旨を理解しており、「広間」を使用しているのだから、それを施設費として請求すれば、生徒から追加徴収せずに済むのではと考える。 ◆顧問I→顧問★→女将、に依頼し「施設費」として不足金額の領収書を切ることになる。
《2000》
◆顧問Iに代わり、顧問★が会計を担当することになる。
《2000〜2005》
◆顧問★の会計処理方法が、顧問Iから引き継いだ方法とは違った形で請求し、「施設費」は合宿費用を上回る余剰金となる。 ◆顧問★はその余剰金を寺田に、「クラブ運営の為に寺田が私費を使っているのだから、その足しにすればよい」と言って手渡した。 ◆寺田は、受け取った費用をクラブ運営費として活用した。
《2006〜2007》
◆寺田は顧問Mにこれまでの経過概略を説明し、会計処理として施設費請求を依頼した。顧問Mはこれに準じて2年間同施設費の請求を行い、その費用を「クラブ運営費」として管理し、記帳していた。 ◆2007.11.6 前顧問である★が「自主申告」として、施設費請求の実態を校長に「内部告発」した。 (日付は理事会が団体交渉で述べたものであり、「自主申告」「内部告発」も理事会の発言である) ◆にもかかわらず、校長からの処分は’06・’07の2年間に限定して行われた。
顧問による処分の違い
10年間にわたる施設費請求は寺田顧問以外が行ったにもかかわらず、4名の顧問の処分内容には大きな差が出た。
| 寺田顧問 | 懲戒免職(解雇) |
| M 顧問 | 減給一ヶ月 10% |
| ★ 顧問 | 口頭による厳重注意 |
| I 顧問 | 口頭による厳重注意 |
理事会は、★顧問を口頭厳重注意としたことについては「自主申告したから」と団交で答えている。また、I顧問については、10年前のことでハッキリしないことがあるからとしている。
2007年11月29日に教育合同に相談、加入・支部結成を行い、結成通知と団交申し入れを理事会に提出した。しかし理事会は団交を開くことなく、2007年12月4日に解雇を強行した。
調査のずさんさ、解雇事由のいいかげんさが団交で露呈
組合の団交は計3回行われた。
2007年12月6日 第1回団体交渉
・事実経過の確認 ・動機や使途は関係なく請求そのものが詐取であるという理事会の見解に対して、動機・使途を調査するように求めた。理事会は再調査を約束した。 ・処分については発令はしたが、その効力を停止して「自宅待機」とする事を確認。
2007年12月15日 第2回団体交渉
・理事会は、第1回団交と同様に、「動機や使途は関係なく請求そのものが詐取である」と回答した。そこで、請求したのは誰なのかを追求。10年間1度も寺田が請求したことがないことを追及すると、理事会も確認した。詐取にあたるなら張本人は請求者。寺田は2005年まで指示すらしていない。(’06・’07はMに依頼した。それ以外はそれぞれの顧問の主体性によって請求されている事を確認) ・理事会は、法的根拠も含めて整理する時間が欲しいと要求。 ・寺田の身分は「自宅待機」を確認して次回へ。
団交の約束を破る理事長
2007年12月18日 教育合同事務所に理事会から「お詫びの件」という表題で、12月4日に解雇通知を出しているので自宅待機は撤回するという旨のFAXが届く。
2007年12月19日 組合が抗議。それに対して「団体交渉で結論の出る問題ではないので団交も行わない」旨を常務理事が発言。組合が団交拒否するのかと追及。
2007年12月21日 2008年1月11日以降に団交を行う旨のFAXが届く。
2007年12月25日 就労闘争開始。校門前で登校する生徒に挨拶指導と遅刻指導。
2008年1月8日 争議行動開始。校門前に組合旗を立て、「不当解雇反対」の横断幕を張り、始業式に登校する生徒に教育合同他支部組合員がビラ撒き。
第3回団交でも合意ならず、団交は継続
2008年1月12日 第3回団体交渉
・第2回に理事会が持ち帰った件を回答したが、解雇の結論は変更無しと言う。 ・組合は、このままなら争議は泥沼化して、双方がダメージを受けることになる。問題の解決を考えるつもりがないのか、と迫る。理事会は、次回団交まで検討させてくれと言う。
・その後、組合が団交再開を催促するが、理事会はいっこうに再開しようとしない。
2008年1月24日 理事長・校長名で全保護者に説明文書を郵送
1.生徒の自主的な署名活動 813筆/1150人 校長へ提出
・3年生が中心となって、全クラスに署名を呼びかける。4日間で集約。校長は「生徒の署名をやめさせるように」と職員に指示。
・1月31日。生徒30名ほどで校長室へ乗り込み、署名を渡すだけではなく約3時間に亘って校長に自分達の疑問や心情を訴えたという。特に「学校は校門を半分締め、警備員を増やし、門に部外者立ち入り禁止の張り紙をし、寺田先生の机にも使用禁止の紙を貼り、引き出しを空けられないようにガムテープで貼る等をしている。これは寺田先生に対するいじめや」という声には、 校長も汗を拭きながら対応したと聞く。又、疑問点については徹底的に食いさがったようだが、明確な回答は得られず「処分は弁護士とも相談して決めたものだから」「今は組合と話をしている最中だから」と誤魔化していたようだが、生徒が「話し合っていると言うことは結論が変わることもあると言うことか」と問いつめると無言だったと聞く。
・生徒たちは真剣に自分達の気持ちを吐露しているのに、笑ってみたり、誤魔化して対応する校長・教頭の態度に怒り心頭の様子だったらしい。・校長との話し合いの内容をビラにして、2月4日に校門前で配布した。
2.書道部卒業生の嘆願書 59名分を校長・理事長へ提出 (2/6)
・嘆願書を読み上げた応接室に寺田先生の作品があり涙が止まらなかった。
・「聞き置いておく」という態度に悔しさが込み上げてきた。特に教頭は自達をジロジロと見て、何を考えているのか分からない。
上の二つは嘆願書提出の後、約1時間に亘り話をした感想の一部です。
3.教員署名 56筆/106人 理事長へ提出 (2/6)
・他にも同様の気持ちを持っている教員は居るが「署名は怖くて書けない」と言っている。それが高等学校の現状だと理事長に訴えるが「何故、怖いの?」と全く高校現場を理解していない。
4.保護者の動き
・学校(特に校長)に対する怒りが寺田担任クラスの保護者などを中心に充満。2月7日学校へ抗議の訴えが行われる。
5.弁護士から内容証明
・2月1日、寺田の代理人弁護士から、本件が解雇事象に相当しないので撤回を求める旨の内容証明郵便を出す。
・2月7日、学校は解雇を撤回しない回答。学園も弁護士を委任。
6.その他
・これ以外にも、解雇に疑問を持つ保護者・学校関係者が様々に動いている。
(以上、2月13日現在)
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解雇がおきてから、組合は問題を話し合いで解決しようと、交渉・折衝を重ねてきた。そして、高校の評判が落ちないように、極力配慮を行ってきた。しかし3月7、日理事会は話し合いによる解決を正式に拒否して、ついに「裁判でも何でもやってくれ」と居直った。
そこで、組合は問題をひろく社会に訴えるために、宣伝活動を開始した。
また、理事会の不誠実な対応を許さないために、労働委員会に申立を行った。
今後、争議は拡大・強化されていく。
大阪府労委の第1回調査は、4月18日に行われた。しかし、理事会は答弁書を完成できず、中途半端なままに提出した。そこで、府労委から5月7日までに準備書面で補完するように促された。この準備書面に対して、組合側は5月21日までに反論を準備することとなった。
ところが、5月7日をすぎても準備書面は提出されず、結局5月12日まで出てこなかった。
しかし、準備書面は内容がなく、何を主張するのか明確でなく、争点整理には役立たなかった。
理事会の準備書面が準備不足であったが、組合は5月21日までに、準備書面を提出した。また、その中で、理事会の主張が明確でないため、釈明を求めた。
府労委の第2回調査は5月29日に行われた。
府労委は双方に和解のための意見聴取を行った。しかし、理事会はとても和解に臨む態度ではなく、和解は成立しなかった。府労委は、双方に求釈明を行い、7月2日に第3回調査を行うこととなった。
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組合との交渉を打ち切った理事会は、生徒・保護者・学校関係者の申し入れも拒否して、解雇を撤回しようとはしなかった。このような不当・不公正そして杜撰な手続による解雇は裁判に訴えれば、容易に撤回できるところであるが、裁判ともなれば、学校自体に大きな影響が及ぶ。特に、次年度以降の入学生の減少は避けられない。そのため、多数の方々からのアドバイスがあったものの、提訴は控えていた。しかし、反省のない理事会の態度に、ついに提訴に踏み切った。
訴状 (プライバシー保護のため一部修正)
提訴に対して、マスコミも関心を示した。朝日新聞がさっそく報道した。マスコミの関心は裁判だけなく、解雇の背景事情や生徒の動きに向いている。今後とも報道は続いて行くであろう。

6月27日、大阪地裁で第1回弁論が開かれました。
法廷に駆けつけてくださった支援者は約80名。廊下に溢れかえる状態は、相手方弁護士に「えらい多いな」と言わせるほどの熱気でした。答弁書が出されたのは裁判前日という杜撰さに対し、寺田先生が行った冒頭陳述は、この件の経過や問題点が端的にまとめられ、さらに教育への情熱と職場復帰を願う気持ちがこもり、思わず法廷に拍手が起こりました。
弁論後の報告集会(弁護士会館)
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学園は「就業規則」不届け=労働基準法違反
就業規則に則った処分?
学園側は、自信満々に、組合に対してこう繰り返し主張していました。 「就業規則に則った適正適法な処分。弁護士とも協議の上処分した。」 寺田教諭の解雇処分に対して、学園側の主張する処分理由に加えて、その手続き過程においても、不可解なことばかりが明らかになる団交。それでも「就業規則に則った…」を繰り返すばかりの学園側。最後には「裁判でも何でもやってくれ」とまで言い放った学園ですが、いったいくだんの就業規則はどんなものなのか?
大阪女子学園と大阪夕陽丘学園 〜それぞれの就業規則〜
大阪夕陽丘学園は今から3年前の2005年に男女共学化に伴い大阪女子学園から改称しています。
平成15年(2003年)に発行された例規集。当時の全教職員に対し配布されたもので、この中に「就業規則」があるにはありますが、これはもちろんこれは「大阪女子学園」時代のもの。
就業規則第1条には「この規則は(〜途中略〜)大阪女子学園教職員の就業に関する事項を定めることを目的とする。」とあります。当然のことながら今回の寺田教諭に対する処分は、既に「大阪夕陽丘学園」と改称済みである学園が行った処分です。「女子学」時代の就業規則では処分ができるはずがないのです。いったい、どの就業規則で行ったのか? 現行就業規則はどれなのか?
現行就業規則を突き止めろ!!
組合は、支部長を通じて、3月21日に教頭に同24日に常務理事に対し「自分を処分した就業規則が欲しい」と申し出を行いました。しかし、すぐに手渡されることはなく、答えは「整理するから待って欲しい」というもの。後日、常務理事から就業規則が手渡されました。その就業規則は第1条が「この規則は(〜途中略〜)大阪夕陽丘学園教職員の就業に関する事項を定めることを目的とする。」と変更されていました。
組合との団交時には、あれだけ「就業規則に則って」を繰り返していた学園。すぐに出てこないとはいったいどういうことか? 組合は、このあたりから「就業規則に則って」という学園の言葉を懐疑的に分析し始めました。
そして、この学園のおかしな対応に対して、組合は大阪中央労働基準監督署に「労基法違反」の申告をしました。就業規則は、制定および変更の場合、従業員の過半数の意見を添付して労基署に届け出ることが義務づけられています。従業員の過半数の意見などを集約したことなど過去には一度もありません。学園が労基署への届け出をしていないのではないかと組合は考えたのです。
労基署による調査
4月初旬、学園に労基署監督官が調査に入りました。その結果は将に私たちの見込通りでした。学園は労基署の調査に対して言い訳をしながらも、就業規則を所轄労基署に届け出ていない事実を認めました。効力に疑義のある就業規則だと言わざるを得ません。
まだまだ追及は続く(詳細後日)
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6月15日午前10時、会場の熱気が梅雨空を吹き飛ばしたような晴天の中、「大阪夕陽丘学園不当解雇事件 寺田智英先生を守る会 結成大会」が学園にほど近い天王寺区民センターで開催されました。第1回口頭弁論の日程にあわせるため、短期間での設立準備となりましたが、それにも関わらず、組合、退職教員、教員、卒業生、保護者、書道界、友人、等の幅広い分野から200名を超す参加者が会場を埋め尽くしました。会の設立趣旨・事実経過報告に加え、多くの支援者発言を受け、最後は寺田さん本人より、クラブ指導・書道教育に対する情熱に裏打ちされた、勝訴に向けての強い決意が表明されました。
会の最後には学園の行った処分の不公正且つ不等性・手続不備・人権侵害、等を徹底的に糾弾し、寺田先生の解雇撤回と職場復帰を全面支援するという、大会決議が採択されました。

大阪信愛女学院での争議は、2月に終結した。
しかし、信愛女学院の代理人であった大正健二弁護士は、このほど大阪教育合同労働組合(職員団体)とその代表者山下恒生理事兼執行委員長が信愛女学院争議で行ったビラまき活動等によって、弁護士として信用が大きく傷つけられ、その精神的苦痛は甚大であるとして、330万円の損害賠償請求の訴訟を起こしてきた。また、これに先立って、大阪地方検察庁に名誉毀損罪で山下理事兼執行委員長を刑事告訴したことも明らかにしている。
訴状内容は、理解に苦しむが、労働運動への攻撃には毅然とした反撃が用意されていくであろう。
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組合活動への攻撃である、大正健二理事・弁護士による刑事告訴・損賠訴訟に対して、大阪労働者弁護団はさっそく教育合同名誉毀損訴訟弁護団を結成して答弁書を作成した。また、大阪全労協やおおさかユニオンネットワークの各労働組合は、労働組合活動への攻撃であり、労働基本権を蹂躙するものとして断固とした反撃を開始することを決定した。
第1回弁論は07年5月17日(木)10時地裁608号法廷で開かれる。
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第1回弁論は5月17日に開かれた。原告である大正健二弁護士は欠席であった。
本案前の争点として、当事者について被告教育合同とビラ配布した教育合同は別であることについて、原告から求釈明が出されることとなった。被告は、さらに詳細な主張を行うこととなった。
異例ではあったが、被告山下委員長が意見陳述を行った。
次回は、7月4日午前11時(弁論準備)となった。
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ユニオンネット・大阪全労協・教育合同が抗議申し入れ
6月14日、信愛女学院に対して上記3者による抗議申し入れが行われた。大正健二弁護士が理事の肩書きで損賠訴訟をおこしたことから、信愛女学院の責任を追及するものである。
しかし、理事長や理事は出てこず、畑中監事が「申入書は受け取れない」と対応するだけであった。学院としての責任を自覚しない、不誠実な対応に終始した。1時間のやりとりの結果、畑中監事は、組合側の申し入れる趣旨をメモをして、そのメモを理事長に渡す、と約束して、職員にメモをさせた。
組合側は、申入書を受け付けに置いて帰った。
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第1回口頭弁論以降、双方は争点整理のための弁論準備を行ってきた。弁論準備は法廷ではなくラウンド・テーブルで行われ、制限されている者の組合側は毎回傍聴態勢を取ってきた。しかし、原告大正健二弁護士は一度も顔を見せていない。
双方の主張により、争点整理も終盤にかかり、そろそろ証人尋問が始まっていく。双方の準備書面を比較してみよう。
原告(大正弁護士)の準備書面
被告(教育合同)の準備書面
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07年11月以降、裁判所は双方に和解を勧告するとともに、和解案を提示してきた。組合側は、和解のためなら少々のことには目をつぶることにした。しかし、大正弁護士は、組合の謝罪がない限り和解はしないとしたため、和解は成立しなかった。
そこで、裁判所は審理を進めることとして、証人尋問に入ることとなった。
尋問に先立って、山下副委員長(現)と大正弁護士はそれぞれ陳述書を提出した。
原告大正弁護士、被告山下副委員長に対する本人尋問は8月28日(木)13時半から大阪地裁608号で行われる。
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